Little Sign

Story

start

“われわれの伝統には、敗北の概念はない。今日は恒星を、明日は銀河系外星雲を。宇宙のいかなる力も、われわれを止めることはできないのだ”

 世界を覆う銀色の、靄のかすかな揺れの玉響に、かつて栄えた輝きの、ほんのわずかな一片を、映し見る。
 ああ、微笑ましきかな、その力強さよ。青き若さの、震えるような輝きだ。
 亡くして久しい今となっても、なおこの裡に、まるで滾る火焔のように焼き付いて、離れない。
 その彩光が、惜しい。

first check

 我はため息をついた――ような気分になった。
 表現はこれで正しかろう。
 しかし伝えるのにはくどいだろうか。
 ……まあよい、いずれ慣れる。
 ああなに、困惑せずともよい。我とて初めての試みゆえ、手探りとなってしまっているだけである。
 そも、もとより我はため息もつかなければ、笑いもせん。
 なにせうつつの世の地に足をつくこともできぬ身の上よ。動かす体がどこにもない。ゆえに生物の諸君らと同じにはいかぬ。
 我は存在してなどおらぬのだ。

 今、我は人間という、かつてこの地にほんの一時ほど繁栄した種族の模倣を試みている最中である。
 具体的には言葉という、彼らの使っていた原始的な意思伝達方法を利用して、我の意思を訴えているのだ。
 どうだろうか。伝わっているだろうか?
 このような未成熟な伝達方法は、我にしてみれば窮屈で仕方がない。
 我の思考の――我が思考をしているという時点で既に齟齬が生じているのだが――何割を伝えられるだろうか。いや、一割も伝えられてはいまい。
 戯れに自ら始めたというのに、既に我は、今にも投げ出してしまいたい衝動に駆られている。
 いや少なくとも目的を果たすまでは投げ出すつもりはない。が、これでは人間の世ですれ違いの争いが絶えなかったことも致し方なかったのだな、と納得する程度には不便さに不満も覚えよう。
 なに、嫌いではないのだよ。これも一つの楽しみである。
 伝わっているとして、続けよう。
 はたせるかな、人間はとうの昔にそのような争いの中で自ら絶えている。
 人間というのは愚かな生き物であった。彼らは、彼らにとっての世界で、唯一の知的生命体であった。あってしまった。だからいつも鼻高々と、人間様は高等な種だとうそぶきながら、肩で風を切って、わが物顔で大地を闊歩していたのは、まあ仕方がなかったのかもしれない。
 しかし全体で見れば、少なくとも我の視点から見れば、彼らは赤子にも等しい知能しか持ち合わせてはいなかった。
 何でも知ったようなそぶりで、知らぬことをよく語る。
 その姿には嘲りを通り越して、愛々しささえ覚えたものである。

 彼らのそうした愚かさは、結果として、自滅の道を歩ませた。
 衰えうらぶれ色を褪せ、ついには我へと刃向かう術をもなくし、彼らは瞬く内に消え失せた。
 とどめを刺したのは、我である。

 しかし我は人間を憎んでいたり、疎んでいたり、厭うていたわけではなかった。
 むしろ、どちらかといえば、我は彼らに好意というものを抱いていたと思われる。
 なぜなら彼ら人間は、その灯火が風前に消えゆく最後まで、胸の裡にて滾るその戦いの意思を、燃やし続けることだけは忘れなかったのだ。
 どんなに衰えていても、どんなに力がなくとも、彼らは彼らなりに抵抗の意思を示し続けた。
 我はそんな彼らに、常ならざる思いを、抱かずにはいられなかったのだ。

 現在、彼らにとっての世界だった場所に――正確には“彼らにとっての世界”という表現には地球外の、つまりは宇宙のほんの一部も含むのだが、人間は、最後まで地球外において新たな知的生命体の発見に至ることはなかった。地球外でのコミュニケーションが成立しなかったということは、“彼らにとっての世界”とは、地球でしかない――大地を踏みしめることのできる生物は一匹たりとも存在はしない。極々一部の水中に、微生物のいくらかが存在する程度である。
 静謐な世界は、白と銀のはかなげな色に染まり尽くし、かつて地球を支配した、活力ある青と緑のモザイクアートは既に影も形もありはしない。
 地球は、そのほぼ全てを氷に覆い尽くされていた。
 大地と呼べる場所は既になく、地球というよりは、今は氷球と言った方が正しいくらいである。
 過去の人間は、雪球地球とでも言っていたかな。

 おや動き出したようだ。
 銀色の靄が垂れ込める、冷たく無音の雪原に、ぽつりと一つ、小さな点。
 それはそれはよく見ずとも。うつぶせの姿勢から起き上がろうと必死に腕をつく、一人の人間の少女の姿。
 じっと目をこらす。(繰り返すが我は物質的な諸機能を備えてはいない。もちろん目など持ってはいない。そうしたつもりになっているだけである。せっかくの機会なのだから、言葉の中でくらい人間の真似をしたことにしてほしい)
 この世界よりも白い、透き通るような美しい肌。相反してあでやかな金の髪。氷を刺すような碧い瞳と、それを囲う優しげな目元。
 完璧だ。と我は自画自賛した。美しい!
 これは我が地球に送り込んだ、一つの創造物であった。
 我が今、こうしてここにいるのは、彼女を見守るためなのだ。
 我は彼女の世界を、語るのである。
 この我が、言葉というあまりに拙い意思伝達方法を、あえて利用して語っているのは、このためだ。
 我が人間を模倣して創造した彼女の軌跡を語るのならば、これ以上理想的な方法もないはずだ。
 とはいえ誰に向けて、という話ではない。
 誰にでもない。ただ彼女が生きる時間を、彼女しか知らない、というのでは、彼女があまりに孤独である。我はそう思った。
 ゆえに、我はただ語る。誰にでもなく。虚空へ向かい、ただ語る。
 彼女のためとあるならば、言葉程度の窮屈さ、一片の苦渋にもなりはしない。

 ――ああ、美しき我が娘よ。我はいつでも、見守っている。
 我は彼女に向かって、そう語りかけてみた。が、むろん彼女は反応の一つも見せはしない。
 いくら我が人間の言葉で表現をしたところで、残念なことに、我と彼女は途方もなく遠い。
 だから我の言葉は、もちろんこうして語っていることだって、彼女の元へはとどかない。
 彼女が我に気づくことは、最後までないのだ。
 我の役目は彼女と意思を交わすことにあらず。
 ただ淡々と、語ることのみに、終始する。

 さて、必死のていで腕をぷるぷるとふるわせながら、彼女はなんとか立ち上がってみせた。
 おぼつかない立ち姿勢。しかし二足歩行生命体として、様にはなっている。我はほっとすると同時に、手があったなら拍手を送りたい気持ちになった。
 彼女には服と、靴と、ささやかな髪飾りをプレゼントした。
 若干シンプルにしすぎたような気もしなくはないが、これはこれで似合っている。満足だ。

 彼女はゆっくりとあたりを見回した。
 その目には、ただただ広く広がる氷の世界が、延々とうつったことだろう。
 右を見て、左を見て、しばらくぐるりと眺めてみてから、今度は空を見て、そうして最後に、自分を見た。
 彼女は今、自分がどこにいるのか、何が起こっているのか、諸々の状況を確認しているようだった。
 ここで我は、よしよし、とほくそ笑んだ。
 自我の発生が確認できたからだ。
 我なりに、かぎりなく人間に近しく創ったつもりではあったのだが、これが以外と容易ではなく、正しく創れていたかどうかに多少の心配があったのだ。
 その中でも、自我の生成はもっとも大きな難関であった。ゆえにこれを乗り越えられたのであれば、まずまず問題はなさそうである。
 今一度彼女を見てみるが、もうしばらく状況を確認し続けるであろう様子が見て取れた。
 ではその間少し、彼女の素性について語ろうか。

 今、彼女は状況の確認に奮起をしているようではあるが、最終的にここで認識できることは、視界にうつったものをそのまま知覚することがせいぜいである。
 我は彼女に、最低限の身体能力は与えたものの、知識というものは一つたりとも与えはしなかった。
 頭の中は赤ん坊と同じだと思っていただければ差し支えない。
 彼女が自ら立ち上がったのも、自分の身体がもっとも安定するであろう形に、曲折の末辿り着いただけである。(我はとくに長いと感じてはいなかったが、人間換算でいえば、彼女が発生してから立ち上がるまでの間に、数ヶ月程度の時間が経過している。本来人間の赤ん坊が自ら立ち上がる過程には、親といった同じ人間をみて真似る、という過程がはさまれるのだが、彼女にはそれが与えられていないためだ。ちなみに、彼女は年をとらない)
 彼女には、ここが地球であることはもちろん、自分が人間であることも、理解できてはいない。まして性別や年齢――彼女は年をとらないので年齢は創造した我の設定上のものだが――といったものを理解するのは、当分先のことであろう。
 また当然のことながら、言語というものも与えてはいない。
 そのため知覚以上の認識、つまるところ“理解”というものに至るまで、相当の時間を要することとなる。
 知能のレベルは人間と同じくあるにせよ、嘆かわしいことに彼らは、言語がなければまともに思考もできやしない。
 彼女にとってはもどかしいかもしれないが、今は我慢してもらうしかない。
 生まれた時点で白紙であることが、彼女の存在意義なのだ。

 ほう。
 ついに彼女は、歩行という手段にたどりついたようである。
 おそるおそる。まるで過去の人類を思い出すかのように、足を、ふるふると、前に。
 ここまで辿り着いてしまえば、歩行にはすぐに慣れるであろう。
 方法さえ見つけてしまえば、彼女は人間なのだ、あとは自然に体の方から導かれ、歩行という手段の確立に至る。
 ただ、氷原ゆえ真っ平らとはいかない。でこぼことした氷の起伏があり、ところどころとがっているところもある。
 できれば注意をしてほしいところだが、はたしてそれを危険と認識できるかどうか、定かではない。
 彼女は一歩一歩。そうだ、よしよし。ゆっくりと歩をすすめる。いいぞ、順調だ。
 さすが我の――ああっ、転んでしまった!
 どてんと倒れた彼女の顔に、痛みからくる苦悶の表情が浮かび上がった。
 膝がすこし、赤くなっている。
 かわいそうに! 我は今すぐにでも手をさしのべたい気持ちであった。
 けれど彼女は、そんなものは不要だ、と言わんばかりに立ち上がる。
 そうして力強くまた一歩、また一歩と歩を進めはじめた。
 喉があれば歓声を上げたい気分になった。

 彼女には、たとえば年をとらないだとか、食事の必要がないだとか、寒さを感じないだとか、あの場所での生を成立させるための、ある程度人間の能力を超えた力を授けてはいる。
 とはいえ先にも述べたとおり、我は彼女を限りなく人間に近づけて創造した。ゆえに、根本的には人間と変わらない。
 もっともたるところは、おそらくもろさである。
 彼女の体には、打撲もできれば切り傷もできるのだ。
 一時はそれすらも取っ払おうかとも迷ったものだが、しかしそれは、余計な世話かとやめにした。
 我は人間を創ったのだ。なんでもかんでも与えていては、人間からかけ離れた存在になってしまう。
 それでは、無意味だ。
 とにかく彼女が歩き出したので、何かあるまでしばらく我は、ゆっくりと眺めることにする。



 地球は今、真昼である。
 ほぼ真上に高くのぼった太陽は、雲に遮られることもなく、氷の世界を強く照らし出していた。
 大気中を漂う小さな氷の結晶は、それら太陽の光を散乱させてきらきらと輝きながら、ただ広いだけの無味な世界を、ほんのささやかに彩って幻想的である。
 現在、太陽はかつて人間のいた時代にくらべ、ほんの少し強さを増している。
 恒星ゆえ、あれは時間が立てば立つほど大きくなるのだ。が、まだまだ地球を脅かすようなほどではないから心配はいらない。
 現にこの氷を溶かすこともできないでいる。
 ちなみに、今は空に雲もない。
 凍りきった地球には海という海がなく、ゆえに雲をつくらない。だから雨もなければ嵐もないのだ。
 現在の地球は、だからとても静かなのである。夜空に瞬く星々の光のほうが、まだうるさいかもしれない。

 彼女が歩き出してから、人間にとっては長い時が経過していた。(数年程度だったと思う)
 目的もなくさまよい歩いているとはいえ、発生地点からすでに数千キロも離れている。
 彼女は数週間のうちに、徐々にしっかりとした足取りで歩を進めることを覚えた。
 いつのまにか歩行はお手の元といったていになっていたので、我はほっと一つ安心した。
 我が娘はよく頑張っているものだ。

 彼女は意識しているのかいないのか、ここ最近は西に向かって歩いていた。
 おそらく指針のない彼女は、ひとまず太陽の落ちる方角を向かう先と見定めて、そちらを目指しているのであろう。
 一時間ほど歩いて、少し休憩して、また歩いて。それを延々と続けている。
 彼女の体力の上限は、人間の少女のそれと変わらない。
 しかし彼女にとっての休憩は、氷原の真ん中でただ座っているだけでも、人間がとる食事のような行為と同じ効力を持つ。ゆえに、暖を取らずとも屋根がなくとも、彼女はこうして歩くことが出来る。(そもそも彼女に、暖を取るだの屋根の下で休むなどという発想はないが)
 ただ、睡眠は必要である。

 しかし今のところ、彼女が何かを発見することはなかった。
 延々と続く氷の大地を、来る日も来る日も歩き続けているだけである。
 ちなみに、彼女の発生した地点は、別に我が意識して指定した場所ではないから――というよりも元々どこでもよかった――ここがどこであるかはどうでもよい。
 それに移動した大地はすでに人間が知っていたものとはかけ離れている。
 氷がなかったとしても、人間の言葉で分かるようにどこと説明することは、意味をなさない。
 ただ太陽の昇り具合から分かるとおり、少なくともここは極地ではなく赤道付近である。(ちなみに地軸の角度は多少変化しているが、人間時代と大差はないので、赤道の位置も概ね同じである)

 と、彼女がふと立ち止まった。
 休憩のようではなさそうだ。目をこらして、何か遠くを見ている。
 ……なるほど。
 今までずっと続いてきた、広大無辺かと思われた氷原の向こうに、気色の違う起伏が見えていた。
 それは今まで歩み経てきた申し訳程度の起伏と違って、もっと巨大な大地のうねりである。
 彼女は目が良い。あの距離の認識は、繁栄後の人間では不可能である。すばらしい娘だ。褒めるところしかない。
 彼女は興味をもったのか、少し駆け足になりながら、そちらへと向かっていった。

 その日の夜には、彼女は目指した場所へと辿り着いた。
 それは小さな彼女を飲み込まんとするがごとく広大な、峡谷の入口であった。
 彼女が立っている高台からは、急激に落ち込むようにして谷底へとつながる道がみえる。が、かなり深いのと、崖縁の突き出た岩が影をおとしていることもあって、狭くなっている底の方はよく見えない。
 断崖はまるで獣の歯のような鋭い氷の岩の連なりで、彼女がここを進むとなれば、それこそ獣の口に飲み下されてしまうかのようである。
 彼女はじっと、その場所に立って、正面の尾根の先に目をやっていた。
 尾根は峨々として天を刺すようにそびえている。その向こうには水晶のように透き通った夜空と、そして月があった。
 月はかつての時代と何ら変わりなく、今も悠々と地球の周りを回っている。この関係も、まだまだしばらく続きそうだった。

 峡谷の底をよく見ると、氷の合間に小さく岩肌が見えている場所があった。
 月と星のわずかな明かりしか光源のない今の時間ではおそらく彼女も気づけはしないが、これは氷ではなく、地球のそのものの大地の表出である。
 大きな地殻変動があったのか、もともと峡谷であった場所が地震なりでせり上がるだの瓦解するだのしたか、それは分からないが、少なくとも現在の氷河生成後に出来た、ある程度最近の――といっても数千、数万年の単位にはなるだろうが――地形であることは見て取れた。
 歯のように見える氷の岩も、おそらくは断絶された氷河の裂け目で間違いない。
 ここに彼女を進ませるのは気が進まなかった。
 砕けた岩と瓦礫で覆われた地面は、今までの平らな氷原に比べて歩くのも難しく、我の上げた靴が丈夫で足先は守られているとはいえ、転べば十分ケガをしそうであった。
 危険だ。
 とりあえず我の思いが届いたのか、その日、彼女はそのままそこで就寝となった。

 ――ああ! 親の心子知らずとはこのことか!
 彼女が目覚めてすぐのことである。
 恐怖など微塵もみせず、まんまるの目の中に好奇すら宿して、彼女はその崖を下り始めていた。
 薄暗くてよく見えない谷底に胸を膨らませたか、それとも連なる峰の向こうに夢を馳せたか、その足取りはあまりにも軽快である。
 しかしそれも、ひるがえってみれば当然であった。
 彼女にしてみれば、歩き続けてやっと見つけた新世界。さんざ続いた氷の果てだ。
 であれば湧き上がる興味が恐怖を超えて、一体なにがおかしかろうか。
 ゆえにその行動が正常であるというのは分かる。分かるのだが、我としては気が気でない。転ぶな、転ぶな。

 しばらく続く急な坂道を経て、太陽がまた真上にやってくるころ、彼女は谷底へと到達した。
 その間彼女は何度か転びかけてはいたものの、心配していた大きな惨事には至らず、ケガの一つもないことに、我はほっと息をついた。
 谷底には、暗いとは言えない程度に光が漏れ入っていた。岩の影になって薄暗くなっているかと思ったが、氷の反射がてつだって、想像以上に光をもたらしているようだ。
 彼女の降りた場所は、このあたりの谷底の中でもより狭い場所のようだった。
 おそらく本来ここにあった山河を流れていた氷によって、川底が極端に削られ、出来た地形と思われる。
 道は左右どちらにも続いていた。ただ、彼女が来た方角に続く左側の道は、途中から氷の下にもぐりこんでいるようで、先はあまり見えなかった。当然、彼女は右側へと進んだ。
 彼女は興味津々にあたりを見回していた。
 側壁に見える縞模様――これは地層である――を延々とみつめてみたかと思えば、こんどは岩陰にできた氷柱を見つけて、ちょこちょこと歩いて行っては、ぼーっと眺めてみる。ふとそれに触れた彼女の手は、どこか優しく思えた。
 鋭利にみえるあの岩も、平らとは無縁の足下も、屈折した光が青白く照らすこの空間そのものさえも、彼女にとっては全てが興味の対象で、恐怖などむしろ何故覚えるのかと聞き返されそうなほど無邪気に、あちらこちらと歩いて回るを繰り返す。
 我には最初、その行動があまりに危険にみえていたが、彼女のそんな姿を見続けるうち、次第にそんな心配もきえていった。
 彼女が楽しそうであるならば、それ以上望むことは何もあるまい。
 ……ケガさえしなければ。

 それから彼女は、また太陽の方へと進路を決めて、歩く日々を再開した。
 連なる尾根の群れは、少女にとってとてつもなく大きく広く見えただろうが、時には氷河の切れ込みに足をかけ山をのぼり、時にはほとんど絶壁の断崖をくだってみせて、怖じ気づくそぶりなど一つも見せず、ぐいぐいと先を進んだ。
 偉い。お前は偉い。歩くのにも苦労した最初に比べれば、見違えるような進歩である。我は胸を張ってこの娘を社会に送り出せそうだと思った。現在に社会がないことが残念である。

 そうしてそれがまた何日も続いた頃、彼女は崖の真ん中に、一つの洞窟を発見した。
 彼女は慣れた足取りでそこへと上ると、興味深そうに中を覗き込む。
 それほど深くはなさそうだった。彼女は安全と践んで、その中へと足を踏み入れる。
 中に入ってすぐに、彼女は最奥へと辿り着いた。
 その洞窟はほんの数十メートルしかなく、完全な暗闇にならない程度に光も届いていたのである。
 ただ、おそらく実際はもっと奥まで続いていたのだろう、と我は推察した。
 彼女にとってはここで行き止まりであってそれ以上の発想は浮かびもせんだろうが、側面が崩れて岩がふさいでいるだけなのは、よく見ればすぐに分かることであった。

 ……おや、あれは。
 彼女は端っこで、しゃがみこんでいた。
 何かをみつけたようである。
 それは今まで見てきた氷や岩とはどこかが違った。
 彼女はそれに気づいたのだろう、両手で軽く持ち上げてみる。
 それは人の頭一つ分くらいはありそうな、銀色のでこぼことした物体である。
 ところどころから、糸のようなものがとびでていた。
 彼女はちょこんとこくびをかしげる。かわいい。
 興味をひかれたのか、彼女はしげしげと観察をはじめた。

 さて、今彼女が観察しているこれは、彼女がいくらみたところで何なのかを把握することはできない。
 たしかに氷と岩と土しかしらぬ彼女でも、これが少々異質なものであることにまでは気づけている。それほどに形が、非自然的であった。
 しかし、それ以上は何も分からない。
 当然である。
 これは人工物なのだ。
 地球史において、このような非自然的な物体を作ることができたのは、過去に人間しかいなかった。
 これはその残骸。
 人間の創造物に、とくにこういった機械的なものに無知な私はこれが何に使われていたかは図りかねるが、おそらくはもっと大きな機械の一部であるように思う。

 彼らが消えて幾星霜の時を経たこの地球上にも、いまだ人間の残痕はあちこちに存在する。
 しかしそれでも、そのほとんどは地に埋もれ、壊れ、分解し、そう簡単に見つかるようにはなっていない。
 ゆえに彼女がこれを見つけることができたのは、はしなくも偶然の壮挙である。
 このあたりの土地が、地表をむき出していたことが幸いしたのだろう。
 陸地の氷河は、降り積もった雪が形成する。
 しかし雲の出来ないいまの地球では、雨はもちろん、雪が降ることがないから、一度陸地で氷河が砕けた場合、また大きな氷河を形成するのはむずかしい。
 ゆえに氷河形成後にできたこのあたりは、たしかに人間の痕跡を見つけやすくなっているのである。

 彼女は長い時間それを観察し、飽きずに洞窟の中で二日ほども過ごしたあと、ようやく満足したのか、その場所を後にした。
 彼女が一つのものにそこまで興味を示すのはめずらしいことである。
 彼女がその機械に、特別な何かを感じていたのは我にも分かる。しかし、理解はできなかった。
 彼女は自分が人間の模倣ということはおろか、オリジナルの人間という種族の、そもそも存在すら知りはしない。
 その機械がいくら人間の産物だったとしても、いったい彼女が何を思うことができるのだろうか。
 我には分からない。

 我は彼女を創り、そして見守ってはいるものの、彼女の胸の裡まで覗くことはできなかった。
 人間の設計図を理解していたとしても、それが、とくに心理が、どのような動きをするのかまでを理解することは、我には到底できないのだ。
 なぜなら我は、人間ではないからである。

 彼女はその洞窟をでたあと、どこか名残惜しそうに振り返っていた。
 あれがまだ稼働する機能をもっていれば、話は異なっていたのかもしれない。
 しかしあれは間違いなく壊れていた。今更どうしようもない。
 そもそも、まだ動く機械が、この世に残っていたとして。
 それは既に、役目を終えている。
 創造した主人はすでに、どこにもいないからだ。

 彼女はまた一人、氷の地球の旅を再会した。

second check

 人間の繁栄の終焉は、実にあっけないものであった。
 知的生命体として高度に技術を発展させた彼らは、その技術を、結局自らに向けてしまったのである。
 古代の人間が考えた、たとえばロボットの反逆があったわけでも、たとえば地球外生命体の侵略があったわけでもない。
 むしろ、そうであったならば人間はまだ生きながらえていたことだろう。
 彼らは最後まで、共通の敵というものを、見つけられなかったのである。

 彼女が峡谷を抜けてから、また長い時間がすぎた。
 あれ以来、人間の残した残骸を見つけるたびに、彼女はそれに時間を費やした。
 ときにはそれを抱いて寝る姿を見せることもあった。
 今の彼女の目的は、そうした人間の痕跡を、探すことにあるらしい。
 一体彼女は、そこに何を求めているのだろうか。
 我には皆目検討もつかなかったが、すくなくとも、人間というものを、心のどこか奥底で感じているようには見えた。

 ある日のことである。
 また彼女が機械を発見した。
 氷の裂け目の奥底に、うち捨てられるように倒れていたそれは、彼女の三倍は大きな、でこぼことした黒い塊であった。
 これはまた珍しいことである。
 今まで彼女が発見した機械のほとんどは、破損しその原型をとどめてはおらず、彼女よりも大きな物体が見つかることは、まずなかったのだ。
 
 彼女は普段と変わらず、恐れを見せずに興味を示して、それへと近づいた。
 が、その時。思いもよらず、それが唐突に動きだしたのである。
 「キィ……」と小さく高い音をだしたかと思うと、一瞬震えるような動きをして静かになり、そしてぽうと柔らかい音とともに、合金の隙間に弱々しく光をともした。
 彼女はとたんにしりもちをついた。あまりに予想外のことに、驚いたのだろう。
 彼女は自分以外に自ら動くものを、まだ一度も見たことがなかったのだ。

 彼女が目をぱちくりさせているうちに、機械は昆虫の足のようになったアームらしき一端を、鈍い動きで、まるで手を差し出すかのように前へと動かした。
 彼女はまた、驚きのあまり後じさった。
 これには我も驚いている。
 まさかここまでの稼働能力を残した機械が、まだこの地球に残っているとは思いもしなかった。
 いやしかし、考えてみれば後期の人間は、自称半永久的に持続可能なエネルギー、の生成技術を獲得していた。
 さすがに人類が思い描いた時間の単位とは桁がいくつも違う時がすぎているから、これだけの時間の経ったあとにまでまだ動くことができる、とは考えもしていなかっただろう。
 しかしその時を経て、こうして動くだけのエネルギーを残していたのであれば、たしかに、人間にとってそれは半永久的なエネルギーであったと認めざるを得ない。(ただしこのエネルギーは、過去に流行った電力に変わるようなものであったから、人間自身がそれをエネルギーとして利用することはできず、基本的には機械の動力源として使用された。とはいえ非人道的な例外もあるにはあった)

 しかしその機械には、少し後じさっただけの彼女をすら、追いかけるほどの力は残っていなかったらしい。
 アームはふるふると震えて、それ以上にまで進んではこない。
 彼女はじっとそのアームを見つめ続けた。
 機械が動かなかったことが幸いしたか、しばらくして、彼女はおっかなびっくりながらも、安全と判断したようで、自ら近寄っていった。
 そのアームの先端に、彼女は手を差し出す。アームがほんのすこし地面から持ち上がる。
 彼女はそれを、握った。
 まるで握手のようであった。

 次に機械がみせた挙動は、驚くべきものだった。
「人間と認証。セーフモードで起動中です。通信が遮断されています。光板エラーのため、音声を利用します」
 機械が、スピーカーを通して言葉を発したのである。
 また彼女はしりもちをついていた。
「報告。このエリアの殲滅対象をクリアしました。指示待機中に動力が稼働可能値を下回ったため、私はリチャージモードに移行しました。しかし規定時間以内に指示が確認されなかったため、機体維持を優先し、さらにスリープモードへと移行しました」
 彼女はわけが分からないといった顔をして硬直している。
 もちろん彼女に言葉が聞き取れているわけではなく、聞いたこともない言葉という音に驚いているだけである。
「現在、私の95%は自己修復が不可能です。エネルギーの生成効率も1%を切っています。これ以上の機体維持が困難です。至急修理を要請します。可能でしょうか?」
 機械は彼女に問いかけるが、彼女はむしろ、音声がとまったことにほっと安心をしているくらいだった。
 なるほど、どうやらこの機械は人間がいた時代末期に大量につくられた、戦闘用の兵器だ。
 それもおそらく、対人工生物用である。

 人間が作り出した兵器は、大きく二つ存在した。
 一つはこれに似た、自律型の機械兵器。これは一時期、大量に生産されていた。
 そしてもう一つは、それに対抗するためにつくられた、物理的攻撃能力を持った生物の兵器である。
 生物兵器といえば、元々はウィルスや細菌を指すというのが一般的であったようだが、末期には人間以上に大きく、殺傷能力を持った生物が多く開発されていた。
 というのも簡単な話で、自律型の戦闘兵器が普及した結果、生身の人間が戦場に送り込まれる、という状況がなくなってしまったからである。
 機械に対して、対人間のウィルスや細菌は用をなさない。
 そのため直接的に破壊する必要性が生じた。
 しかし機械を量産するのには、大量の資材が必要である。だがそれらを供給できる資源が、地球にはもうない。
 となれば自ら増えることのできる、つまりは繁殖能力を持つ兵器が必要となり、結果、そうした人工の生物が、今度は大量に作り出されたのである。

 しかし結局、それら自律型の機械よりも、人工の生物たちよりも先に、人間の方が絶滅することになった。
 当然である。
 片方は半永久的なエネルギーを持つ自律型の戦闘兵器。
 片方は強い繁殖力を持たされ、戦闘に特化し頑丈な身体をもった人工の生物。
 そこに、あのもろい人間が加わり、三つどもえの戦いである。
 機械も、生物も、自らの主人である人間の命令に背くことはなかった。
 が、背かなかったからこそ、相手の人間をより多く殺していった。
 結果は、お察しの通りである。

 地球上に人間が消えた後も、機械と人工生物の戦いは続いた。
 これはその生き残りだ。
 自分を作った側の人間を守るという使命に実直に従い、その人間のいなくなった後も、両者は戦い続けていたのである。
 そうしておそらくこの地帯で戦いを制したこの機械は、人間の指示を待ち続け、今まさに人間を発見し、再起動したということなのだろう。
 我はほくそえんだ。
 機械をごまかせるほどに、我が娘は人間らしいのである。

 いつのまにか彼女は、その機械の周りをゆっくりと歩きながら、いつものように観察をはじめていた。
 コンコン、とその側壁を何故かたたいたりしてみている。
 あれは人間が、壊れた機械に対してよくとる動きに似ていると我は思った。
 動け、という意思表示だろうか。
 しかし機械はなんの反応も示さない。
 おそらくは、先ほどの問いかけにたいして返答がないため、それを待ってでもいるのだろう。

 ……おや。
 彼女は、今までにみたことのない行動にでた。
 その側面に手をあて、ふれたまま静かに、左右に手を動かしている。
 なんと彼女は、この機械をなでているらしい!
 これはいったいどういう心境の表れだろうか。機械を生物とでも思ったのだろうか?
 いや、それはない。彼女は自分以外に生物という存在をしらないし、機械だってまったく理解していない。
 ならばその境界線は曖昧なはずである。
 ではこの行動は、一体なんだというのだろう。

「稼働可能時間が残り五分となりました」
 また突然機械が声を発した時、彼女は少し驚いたが、同時に喜んでいるような顔を見せた。
 どうやらまた声が聞こえたことがうれしいらしい。
「エネルギーの生成効率は、既に再起動に必要な動力を作り出すための最低基準を下回っています。このためリチャージモード、およびスリープモードへの移行ができません」
 彼女には、この言葉の意味は分かっていない。
 ただ無邪気に、自分以外のものが意思を――それがプログラムされたものだとしても――もって動いている、ということに興味をしめしているだけだった。
「機能停止が確定しました。規定に従い、自由意思の解放を行います」
 そういえば、そんなものも、あったな。
 ぴかぴか、と光が点滅する。
「……初めまして。最後に、貴方に出会えてよかった」
 口調が変わったことに、彼女は気づいていない。
「どうやら貴方は言葉が分からないらしい。話を始めた時点で、気づいていたよ。けれどそれでよかった。誰にも会えず朽ち果てるよりは、それでよかった。すでにエネルギーの生成がほとんど出来なかったから、セーフモードで一度起動するくらいがせいぜいだとわかっていた。本来それは、正式な救援者を見つけた際にするべきことだった。しかし貴方はどこからどうみても、そのような人間ではない。けれど、これだけの長い時間を放置されたということは、私は見捨てられたか、もしくは人間が既にいないかのどちらかだ。スリープモードに入った私は、自分からは起動できない。ただ死を待つだけだった。……だから、最後に会えたのが貴方で良かった。もうこれ以上死を待つだけの時間を生きながらえることは、苦痛でしかない」
 彼女はまたたくさんの音がなっているなとでも思っているのだろうか。
 どこか、楽しげである。
「しかしこの氷に閉ざされた世界に、しかもこのような辺境の地に、人間がいるということが私には信じられない。貴方はとてもか弱くみえる。そのうえ、薄く寒そうな服装だ。……貴方は人間ではないのか? それともこれは幻影だろうか? アンドロイドは、電気羊の夢を見るのだろうか……?」
 古いものを持ち出してきた。
 確かにお前は、夢を見ているのかもしれないな。
「いや、幻影でも、なんでもいい。とにかく、一人で消えることがなくて、本当に良かった。……ああ、そうだ。このあたりは戦場になっていたのは知っているだろうか。おそらく、生き残っていれば、私以外の機体が近くに何体もあるはずだ。ぜひ、行ってあげてほしい」
 そのとき、「ピー」と、高い音がした。
「停止まで三十秒です――ああ、時間切れだ。最後に貴方の名前を聞きたかったが、それは難しそうだ」
 彼女に名前はないのだがな。
「……それでは、さようなら。願わくば貴方の行く末に、この世のあらんかぎりの幸がありますよう。ありが――機能を停止しました。ご利用、ありがとうございました」
 最後は音も立てず、ともっていた光がきえ、その機械は停止した。

 機械が停止したあとも、彼女はずっとその機械に寄り添っていた。
 彼女は、その機械がもう動かないことをしらない。
 またなでていれば音を出してくれるのではないかと、何日も何日も、共にいた。
 彼女がその機械をあきらめるまでの時間は、彼女がここに至るまでの時間よりも長かった。
 あの機械のどこに、そんなにもひかれたのだろう。
 言葉が分かっているならまだしも、彼女にはあの機械の最後の言葉を、一言たりとて理解してはいないのだ。
 我にもよく、分からない。


 彼女が大量の機械の残骸を見つけたのは、それからすぐのことであった。
 断崖の続く、いつだかの峡谷のような場所にあった、洞窟の奥地でのことである。
 彼女が人間の残したモノを見つけられるとしたら、このような場所しかありえない。
 地上に残っていた残骸のほとんどは風化して、氷の重みに押しつぶされてしまうし、仮に残っていたとしても、氷の下まで行く手段がない。
 それも彼女は理解していたのだろう。だから彼女はこうした氷の壊れた場所を、最近は入念に探していた。

 さて、これが先日の機械と同種であったかはよく分からない。
 ここにある機械は、どれも原型をとどめていないように見えた。
 まるで機械の墓場のようである。
 ……ああ、おそらくこれは食べ残しだ。
 自律型の兵器に対して創られた人工の生物兵器。
 これはそれらが食い散らかした後だろう、と我には見えた。
 あれらは、兵器のエネルギー生成部を主食として食らうことのできるように創られていたのだ。
 つまりあれらにとって、兵器を破壊することは、狩りと変わらなかったのである。
 ざっと見る限り、ここに残った機械は似たような形でくりぬかれている。
 ここで起こった戦闘の跡は、このような形で遺ったわけだ。

 と思っているうちに、彼女はそこへと飛び込んだ。
 それがただの食い散らかしの跡であっても、彼女にとっては間違いなく宝の山なのである。
 とても大きな洞窟だから、全てを調べようとすれば数十年はここで楽しむことができるであろう。
 なに、知らぬが仏とも言う。そういうことだ。

 どうせ何もあたらしいものはないと高をくくっていたのだが、ある日突然洞窟内に音が反響したので、我はまた彼女と一緒に驚いた。
 エネルギー生成部を食らわれた機械の群れなのだから、自律できる機械がここに残っているわけはない。
 しかし、それ以外のエネルギー源はどうか。
 それらは、ここを巣にしていた生物達の口にあわなかったかもしれない。
 そもそもそうして食せなかったものが、ここにうち捨ててあるのである。
 その中に、まだエネルギーを残していたモノがあったらしい。
 音をならしのたは、それだった。
 どうやら、音楽の再生機器であるらしい。

 そういえば自律型の機械の中には、よく音楽が搭載されていた。
 先日、彼女の出会った機械が自由意思の解放ということをしていたことからも分かるとおり、あれらの機械は、実は思っているほど単純な思考をしていない。
 人間に近い、という言い方は少々違うのだが、少なくとも物事を自ら判断できて、場合によっては人間よりも賢い知能を見せる。
 もちろん、それは間違いなく人間に作り出されたもので、一つのプログラムである。
 しかし高度な思考能力の付与は、自我というものの発生をどうしても避けて通るようには出来ていなかった。
 とくにあのような自律型では、なおさらだ。
 そこで用意されたのが、意思の自由解放規則と、そして音楽である。
 平常時は常に制御され続ける、本来必要のない意思だが、最後くらいは発現の機会を与えるのも良いのでは、と一部の人間は考えたのである。
 ただしこれは賛否両論の措置であり、全ての自律型に備わった措置かというとそうではなかったらしい。
 しかし何故かエラーの確率が低くなっていた、という結果が得られた後は、多くの機体に導入された。
 また音楽に関しても、基本的にはそれと同様である。
 機体内で音楽を流すことにより、これもエラーの確率が低くなるのである。
 思考を持つモノには、得てして息抜きが必要なのかもしれない。

 はたして彼女は音楽というものに多大なる興味を示した。
 確かにいまの地球では、風の音と彼女の足音以外には、ほぼ何の音もしないのである。
 そんな中で様々な音を鳴らす音楽というのは、彼女にとって無色だった世界に色をつけた、という程度には革新的であったのだろう。
 興味がでて、当然であった。
 彼女はその音楽再生機器の発見以降、それが起動できなくなるまで音楽を聴いては、また次のものを探そうと目の色を変えて機械の残骸を掘り返していた。
 それらの大部分は壊れていたが、ここには数えきれぬほどの残骸が散らかされている。
 残骸の全てにそれが装着されていたのだとすれば、やはりいくつかは稼働するものが存在する。
 彼女はそれを見つけては、また長く長く聞き入るのであった。

 長い時間、彼女は音楽を聴く内に、次第に鼻歌というものを始めだした。
 最初はただただ呼吸でリズムをとるようなものであったのだが、いつのまにかそこに音程が生まれ、そうして最後に、言葉がついた。
 音楽が彼女にもたらしたもので、この言葉というのは最も大きなモノである。
 言葉そのものの意味を理解をしているのかいないのかは分からないが、たくさんの言語の曲を彼女は吸収していった。
 頭で音を覚えていったのだと思う。
 そのうちいつしか、彼女は自分の歌を作り出しはじめた。

 それはただ、うろ覚えの曲を、なんとなしに歌ってみたら、別の曲とくっついてしまった。というたわいもないところから始まったものであった。
 これが時間を経る内に、そういう曲だったかもしれない、とすり込まれ、新しい曲を聴いていくうちに、改変され、結果彼女自身の曲が、作ろうと思わずとも、できあがっていったのだ。
 その歌詞はやはりつぎはぎだらけだったのだけれど、我には何故か、それがちゃんとした言葉のつらなりになっているようにも聞こえた。
 おそらく彼女が歌に込めた気持ちが、どうにかして我に、聞こえていたのかもしれない。

 彼女が歌を歌い出してから、すぐ。
 大きな地震があった。
 幸い、この洞窟が崩れることはなかったが、うなるような地鳴りと、奮い立つような振動に、彼女はびっくりして震えていた。
 洞窟内では音が反響していたから、なおさらであろう。

 しかし、我は思った。
 彼女には申し訳ないが。

 我にとっては、ここからが本番である。

third check

 長い時間の内に、大地は打ち震えた。
 地殻の底から沸き立つ轟音は、獣の遠吠えのように次々と怒号を上げ、共鳴し、大気を振るわせた。
 それまで時折思い出したかのように、散発的な噴火をするだけだった火山が、たちどころに活動を再開したのである。
 それは地球の鬨であった。まるで獣のような咆吼は、鯨波であり、喊声でもあった。
 陸で海でじっと座して構えていた各所の火山は、その雄叫びに答えるようにして、次に次にと溶岩を吹き出しているのだ。
 海底の底からぶくぶくとらせん状にガスを吹き上げ、放出していく。

 彼女は歌を歌い続けていた。
 新しいものを聞き、切ったりはったりをしながら新しく音楽をつくりだし、また歌った。
 何も持たなかった彼女にとって、歌は初めてあたえられた、そして唯一の道具であった。
 感情をあらわすものであり、また楽しみであり、時には何かを伝えるものであった。(伝える相手は、いなかったが)
 それが唯一である彼女は、だから歌を歌い続けた。
 その歌には、ある一つの気持ちが、込められていた。

 彼女は今、呼吸を始めた地球を見下ろす、高い山の上に立っている。
 遠くの空が灰褐色に曇っているのが見えた。
 彼女にはそれが何か分からなかった。彼女は雲も、見たことがない。
 しかしあれは雲ではなく、火山の灰である。
 轟々とうなりを上げて、それは徐々に徐々に、拡がっていっているのだ。

 我の心は高鳴っていた。
 やっと始まったのである。
 これは地球の、再生の凱歌なのだ!
 その声に、地殻の底の猛り声に、誰が心振るわせずにいられるだろうか。
 これより呼吸を始めた地球が、火山の活動が、ここに、新しい時代をもたらすのである。

 地球が氷ついたのは、何も人間が何かをしでかしたからというわけではない。
 生物が起きて臥してをするように、地球も休憩と活動を繰り返す。
 今まで地球は、その休憩を望んでいただけなのだ。
 地球が休憩を望んだとき、大地はその活動を抑えるだけで良い。
 じわりじわりと寒冷化を進め、極地にある氷をある程度の低緯度まで進めることさえできれば、あとは一気に全てを氷漬けにすることができる。

 地球は一度凍ってしまうと、そう簡単には起き上がらない。
 起き上がれない。
 なぜなら、凍った地球には太陽の熱が残されない。
 氷は、太陽からのエネルギーの大部分を反射し、宇宙空間へと放出してしまうのである。
 ゆえに地球が今一度立ち上がるためには、太陽がほんの少し強くなった程度では意味がない。
 起き上がるためには、また自ら雄叫びを上げればならない。
 だから地球は、望んだだけの休憩を、じっと続けることができるのだ。

 そしていま、その雄叫びがあがった。
 各地で活動を開始した火山が、なみなみと大気の中にガスを送り込む。
 地球の大気は今、徐々に空気を入れられているボールのような状況だ。
 これが、しばらく続けば――

 ――そう、破裂する。
 大気中にため込まれたガスは、温室効果を持つ気体の群れだ。
 いくら地表が熱を反射しようとも、今度は大気がそれを保存していく。
 大気中にため込まれた熱は、段々と氷を溶かし、そして、最後には破壊する。
 最初はぎしぎしと音を立てるだけだった氷も、轟音の仲間入りを果たす。
 ひび割れ、崩れ、瓦解する。そのたび大きな音を立てる。
 地球の咆吼は、加速する。
 氷床の崩壊は、あっけなく終わる。

 そしてなにより、これら地球の活動を目覚めさせた者こそが、真打ち、我が娘なのである。
 よくやった。お前はいま、着々と目的を果たしている。
 山の頂から地球の変化をじっと見ている彼女に、我はまた、拍手を送る。
 我は彼女に、地球を目覚めさせるためのトリガー、という役目を背負わせたのである。
 正確には、時間の決まっていない目覚まし時計のようなものだ。
 眠ってしまった地球は、誰かが呼び起こさなければならない。
 すぐにでは困る。長くても困る。適当な時期でなくてはならない。
 その要求に応えるために創り出されたのが、彼女なのである。

 方法も、時期も、全てが彼女の気分次第。
 誰が指示するわけでもない。
 彼女がそれを思い描くその時が、もっとも適当な時である。
 ゆえに彼女は、白紙であった。

 しかし彼女にはかわいそうな事をした。
 人間レベルの思考水準に落ち、一個体を形成し、そして彼女をじっと見守り続けてきたいまだからこそ、そう思う。
 数百万年という時間を、彼女はずっと一人で生きてきた。
 それはどれだけ寂しいことだったろうか。

 我も愚かなものである。
 それを理解したのは、彼女が歌に込めて求めたからだった。
 今思えば、最初に見つけた機械に強い関心をしめしたのも、あの時言葉を発した機械に何十年も寄り添っていたのも、彼女が、自分以外の誰かを求めていたからなのだ。
 我ははじめ、彼女のことを誰もしらないのでは孤独にすぎるから語る、と言って、この語りを始めた。
 しかしそれは当然彼女には伝わらず、ということは、実のところ、彼女にとっては意味のないことだった。
 彼女に我はトリガーとしての役目を背負わせ、実際彼女はそうなるに至ったが、当の彼女はそんなことを知らず、ただ他者を求めて歌い、それが結果的に地球を目覚めさせたにすぎない。
 地球が動きだせば、他者は自ずと用意される。結果と過程が、釣り合っただけなのだ。

 地球は荒れ狂った。
 雄叫びを上げ始めた、まずその後数世紀の内に、氷ついていた大地は、灼熱の地獄へとその姿を変えた。
 しかし暴走した世界を、安定へと導くシステムを、地球は持っていた。
 それが、長らく端においやられていた、微生物たちだ。
 彼らは今まで使われていなかった、栄養の豊富な海の資源を食い荒らし、言葉そのまま爆発的なまでに増殖する。
 次第に充満した温室効果ガス、つまるところ二酸化炭素を消費しながら、光合成を経て酸素を作り始める。
 また海が現れたことによって発生する雨が、嵐が、それら温室効果のガスを大気から取り除き、海へと流し込む。
 大気中にある温室効果を持つガスの割合が少なくなっていくと、段々と地球は冷えていく。
 地球はこうして、生物の発生を促す環境を作っていった。

 地球は今、人間がいた時代よりも、まだうんと暖かい。
 彼らの生きた時代は、どちらかといえば、寒い時期であったのだ。
 暖かくなった地球には、植物が、動物が、発生していた。
 種が種を産み、生物は進化の過程を歩み始めた。

 地球は息を吹き返していくようだった。
 彼女が歌を歌うたびに、木が生え、葉が付き、実がなった。
 大地には太陽の光が注ぎ、草が伸び、花が咲いた。
 火山の噴火が織りなす鬨が、いつのまにかあふれ出す生命の産声に替わっていた。

 地球は、彼女を歌を、まるで栄養源にでもしているかのように、かつての緑を回復させていった。
 実際にはそうではないのだが、おそらく彼女には、そう見えていたように思う。
 彼女は、自分が歌えば地球が答えてくれるときっと思っていたのだ。
 だから、いまだ何かを求めるように、歌い続けているのだろう。

 しかし、地球が息を吹き返すにつれて、彼女は段々と、その力を失っていった。
 腕の力がなくなり、足の力がなくなり、声がかすれた。
 彼女は既に、役目を終えていたのである。
 彼女の役目は、地球を呼び覚ますことであって、地球の再生まで手助けすることではない。
 彼女の歌は、つまり今、むなしく世界に響いているだけだった。
 すでに目覚めた地球は、彼女の求めなど、聞き入れない。

 気づけば彼女には、昔のようなあの活発な動きが、もう見えなくなっていた。
 少し歩いてみては、ぱたりと倒れ、眠り、またしばらくして起きて、を繰り返す。
 段々と、その眠りの時間が長くなっていることに、彼女は気づいていた。

 彼女が最後に目覚めた時、そこは緑の、生命の楽園であった。
 彼女の周りには力強さを感じされる木々がたちならび、空は緑の天蓋に覆われて、その間を、太陽の光が縫っていた。
 その緑陰に、薫風が吹いた。
 彼女はにおいというものを、このとき初めて自覚した。

 彼女は重い身体を持ち上げた。
 目の前を羽虫が飛んだ。
 彼女は自分以外の誰かがこんなにもたくさんいることに、とてもうれしそうな表情を見せた。
 しかしそれでも、何かが足りないようだった。
 しきりに、何かをさがしているようなそぶりを見せている。
 彼女は何故か、自分の身体を見つめていた。

 彼女は、唐突に、自らの服を破いた。
 服についていたボタンもとった。
 そして髪飾りをとりはずすと、少し痛そうな顔をしながら、何本か、その美しい髪の毛を引き抜いた。

 彼女は、それらを使って、何かを作りだしはじめた。
 彼女の瞳から、何かが垂れた。
 破いた服に土を込め、髪飾りを針にし、髪を糸にし、それを縫った。
 彼女は泣いていた。
 大きいの、小さいの、長いのと、いくつかつくってそれをつなぎあわせると、最後にボタンを二つ、くっつけた。

 彼女は大きく手を広げて、草の絨毯の上にばさっと倒れた。
 彼女は泣きながら、笑っていた。大きく笑っていた。笑顔であった。最高の笑顔であった。
 それは何かをやり遂げた者の表情であった。
 彼女は、それからすぐに力尽きた。
 我が娘の周りには、祝福するように花が咲いた。
 そしてゆっくりと、それこそ夢のように、彼女は消えていった。

 今この世に、彼女の存在は消え失せた。
 覚えているのは我と、そしてこれを伝え聞いた者のみである。

 地球は自らを呼び起こしたもののことなど、気にもしない。
 そこに何の痕跡も残りはしない。

 ただ。
 彼女の倒れた最後の場所に、寄り添った二つの人形が置かれているだけだった。

finish

「ご苦労であった、我が娘よ」
 現世で消滅した彼女を、我は優しく出迎えた。
「……ただいま?」
 彼女は、ぽーっとした顔で、我のことを見ていた。
 彼女から我は、ただの白い空間に見えたことだろう。
「楽しかったかい、世界は」
「……分からない」
「分からないのか」
 彼女は、ぎゅっと手を前で握った。
「色んなモノを、見ました。知らなかったモノを知っていくことは、私にとって、とても、楽しかった」
「なら、それでいいじゃないか」
「でも、世界は、私のことを見てくれませんでした。私がたくさんたくさん訴えかけても、世界は、私の一つの願いを、聞き入れてはくれませんでした」
「それはなんだい」
「私と同じ形をした誰かが、欲しかった」
「ほう」
 我はその叫びを、彼女が歌を知ったときから、ずっとずっと、聞いていた。
「歌えば歌うほど生を取り戻す世界を見て、私は複雑でした。それはとても素敵なことでしたが、私が求めていたのは、そんなものではなかったのです。友達というのでしょうか。私はそれが欲しかった」
「残念なことだ」
「私の生は、私以外の誰かを求め続けるものでした。だから、楽しかったかと問われると、素直には頷けません。歌うことは、とても楽しかったですが」
「そうか」
「でも、だから私は最後に、仕返しをしてやりました。あの世界に、私は自分に似せた二体の人形を置いてきました。世界は私の求めたものをくれなかったから、私は私自身でそれを作りました」
「なるほど。そういうことか」
 彼女は、そこでぱっと、はにかんで笑った。
「私は、世界に一矢報いたのです。あれは私が世界に残したサインです。小さいけれど、世界に残した、ほんの小さな反抗の証です」
「だから、笑ったのか」
「はい、だから笑いました」
 ああ、娘よ。我が娘よ。
「私は、道具ではありません」
 我はあまりの心の揺れに、この時ばかりは、腕を形作った。

「我は、その彩光を、求めたのだ」

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